42話 宇宙要塞ア・バオア・クー
・「敢えて言おう、カスであると!」「ジーク・ジオン!!」と、20年ぐらい前のインターネットで見かけたセリフの元ネタが聞けて嬉しい。
・黄色い光に連邦軍の主力が焼き尽くされる。これがジオン軍の最終兵器ソーラレイシステム。和平交渉のために出撃していた国王のデギン公も一緒に燃やされる。
・確か宇宙要塞ア・バオア・クーはジオン軍にとって最終防衛ラインだったはずなんだけれども、普通に考えたらそもそも戦争で最終防衛ラインに到達された時点で詰みなので、和平交渉に向かったデギン公の判断は正しかったんだと思う。
・ギレンがキシリアに殺される。殺す直前に露骨にキシリアの目がキラーンって光るのはどうかと思ったけれども、デギン公が死んだとキシリアが聞かされたシーンで、キシリアが声では平静を装いながらも目が潤んでいたのは良かった。この話では一貫して視聴者にキシリアの感情の動きを目で読み取らせようとしてるのが面白い。
・シャアがニュータイプ用に開発されたモビルスーツ、ジオングに乗り込んでアムロのガンダムと対峙する。ニュータイプに目覚めたばかりのシャアがジオングを扱いこなせない焦りを抱きながら敵に立ち向かうという構図は、初期のアムロとシャアの力関係をそのまま逆転させたようだ。
43話 脱出
・アムロがジオングの遠隔攻撃に対抗するために、ジオングの懐に潜り込む。アムロがシャアを戦術で上回るのは胸熱。
・ガンダムとジオングが大破。シャアとアムロが生身で激突。ガンダムの威を借りずに、シャアに対して自分の考えをぶつけるアムロにまたも胸熱。初期の弱腰アムロからは考えられない展開。
・「ヘルメットが無ければ即死だった」というセリフもネットでよく聞くやつ。ララァほんまありがとうな。
・シャアがキシリアを殺害する。アムロに「本当の敵はザビ家だ」と言われたときには否定したくせに、その舌の根が乾かぬうちに結局キシリアを殺しに行った理由をさっきから考えてるんですけれどもアムロのことが嫌いすぎて条件反射で否定してしまったというのが自分の中で一番しっくり来る解釈なのですが、いかがでしょうか。
・シャアがマスクを外したのは何かのメタファーなんだろうけれども、よくわからない。こういうのって大体は自分の本心に気付いたって意味なんだけれども、再登場してからのシャアって最初から最後まで好き勝手やってたよな……。
・アムロがニュータイプを発動させると、ララァの歌声が流れる。ララァがアムロを手伝ってくれているということだろうか。アムロがみんなをテレパシーで誘導するシーンは理由は分からないけれども泣けてくる。
・アムロ達にとって戦争の象徴であったホワイトベースが沈んだ。
・最後はカツレツキッカの3人の子供が誰よりも強力なニュータイプに目覚めてアムロを救うという、未来への希望を感じさせる終わり方だった。
・アムロ「まだ僕には帰るところがある。わかってくれるよね、ララァにはいつでも会いに行けるから」
ホワイトベースは無くなっても、アムロには新しい居場所がある、ということでよろしいでしょうか。
総括
長かったガンダム感想もこれで終わりです。
主人公のお父さんとお母さんが、主人公にこんなに理解が無いアニメは初めて見ました。冨野監督の家庭環境が心配で仕方ありません。
引きこもりがちな内向的なオタクが望んでもいないのに戦争に狩り出されて、何のために戦うか分からないまま鬱になりながら生きるために戦って、いつの間にか嫌だったはずの戦場が自分の居場所になってかけがえの仲間が出来たという一連の流れは、人の成長に流れそのものであり、冨野監督はこの作品を通じて大人になることの辛さと楽しさの両方を子供たちに伝えたかったのかもしれません。
当時はアニメといえば子供向けという印象が強かったはずで、「父親の作ったロボットで悪の帝国を滅ぼす」という当時のロボットアニメのテンプレに則ったまま、ここまでリアルに人の死と成長を描いたことに冨野監督の並々ならぬ才能を感じました。(まあ、これは岡田斗司夫が言ってたことなんですけれども)
ここまで書いて、まだ義務教育の一環として『逆襲のシャア』が残ってることに気付きました。
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