【読書感想】有能な人間が炎上しやすいのは、有能アピールが差別ということに気付いていないから(実力も運のうち 能力主義は正義か? /マイケル・サンデル)

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メンタリストDaiGoがホームレス差別発言で絶賛炎上中ですが、彼に限らず有能な人間は何かと炎上しやすいもの。しかし、たとえばYouTube登録者数50人ぐらいのポケモンユナイトおじさんが配信で「俺の収めた税金でホームレスを養わないで欲しい」と発言したところでコメント欄でたしなめられるだけで済んだんじゃないでしょうか。

当然、「立場のある人間が差別発言をエンターテイメント化して提供するなんて許せん!炎上して当然だ!!」という意見はあると思うのですが、ここはマイケル・サンデルの考え方に従って能力主義が生み出した歪みという観点から考えてみたいと思います。

今回の話は
①みんなが思っているほど、能力主義社会は平等ではない(だから能力の高さを自慢するのはいかがなものかと思う)
②能力マウントは現代に許された最後の差別である
③有能アピールするやつはみんな炎上する
という感じになります。

 

実力も運のうち 能力主義は正義か?

 

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概要

ハーバード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身だ。にもかかわらず、彼らは判で押したように、自分が入学できたのは努力と勤勉のおかげだと言う――人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を、私たちは理想としてきた。

しかしいま、こうした「能力主義(メリトクラシー)」がエリートを傲慢にし、「敗者」との間に未曾有の分断をもたらしている。この新たな階級社会を、真に正義にかなう共同体へと変えることはできるのか。超人気哲学教授が、現代最大の難問に挑む。

解説/本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)

 

Amazonより引用

 

みんなが思っているほど、能力主義社会は平等ではない

「生まれと血筋によって人生が全て決まる社会」のことをAristocracy(貴族社会)と呼ぶそうなのですが、「出自に関係なく能力によって人生が決まる社会」をMeritocracy(能力社会)と呼ぶそうです。

もちろん現代で採用されているのは後者の考え方。本の中では能力主義社会における一般的な倫理をこのようにまとめています。

 成功は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得される何かである。これが能力主義的倫理の核心だ。

 

さて、問題は能力主義社会は貴族社会と同じぐらい平等では無いことです。「努力をすれば報われる」という原則は決して正しくないと言い換えても構いません。

サンデル教授によるとハーバード大学やスタンフォード大学に入った生徒のほとんどは「自分が懸命に努力をしたからこそ、今の自分が存在する。決して自分が制御できない幸運のおかげで大学に入ったわけではない」と考えているそうなのですが、データは無情にも「アメリカの難関大学に通う大学生の70%以上がアメリカの上位20%に入る所得規模の家庭の出身」という事実を表しています。

彼らは自分たちが努力をして栄光を手に入れたと思い込んでいたのですが、実情は彼らのほとんどが努力が報われる家庭に親ガチャで生まれてきただけと言えるわけです。

勤勉で才能があれば誰でも成功するという単純な方程式は、もはや現実にそぐわないのです。
そうだとしても、金持ちじゃない残りの30%弱は努力をしたと言っても良いんじゃないかと思うかもしれません。

しかしサンデル教授は「宝くじで100億当たったのを能力のおかげだと言えないのと同じで、お前が能力を持っているのもただの棚ぼた」「そもそもお前が生まれた時代がたまたまお前の努力を認めてくれる社会だっただけ」「成功へと至る途中で助けとなってくれた幸運を忘れている」と徹底的に努力=成功の方程式を叩いています。

能力マウントは現代に許された最後の差別である

何故そこまで努力=成功という方程式を叩かなければいけないのでしょうか。

サンデル教授によると「成功は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得される何かである」という考え方は間違っているうえに有害であるそうです。

たとえば成功した人は判を押したようにこんなことを言いますよね。「たとえ才能が無くても、キミ達が正しい努力をすれば僕のようになれます」

しかし、この発言は逆説的にこのようなメッセージを含んでいます。

「キミ達が僕のようになれないのは自業自得であり、成功するための意欲が欠けているからです」と。

能力主義における勝者の考え方は勝者自身を勇気づけます。

しかし、その考え方は敗者の傷に塩を塗り込み、怠惰の烙印を押し付けていることに多くの人は気付いていません。

自らが幸運に恵まれた存在であることを忘れ、ことさらに努力の重要性だけを説く姿勢は現代における最後の差別だとサンデル教授は主張します。

 

有能アピールするやつは炎上する

さて、ここからは僕の推測です。

メンタリストDaiGoは、今回のホームレス差別発言に限らず、常日頃からオレ様的な態度で発言を繰り返していました。

それは「自分は平等なスタートラインから努力をして、この地位を手に入れた。だから俺はここまでのことなら発言してもいい」という能力主義の倫理に裏打ちされて行われていたように見えました。

しかしそれは努力をしてない人間に対して、「お前たちの能力が足りないのは俺よりも怠け者だからだ。つまり、お前たちは俺に見下されるのは当然だ」という差別的な意思表示の裏返しであり、その無自覚な非難に対して言葉に出来ないフラストレーションが溜まっていた人も多いのでは無いかと思います(もちろんその態度が好きだという人もいたとは思います)。

そんな折に、叩かれる隙を見せてしまったことで、(無自覚に)見下していた人々にマウント返しをされてしまったというのが現状なのではないでしょうか。

彼の炎上は言うなれば、能力主義の倫理に傷つけられた人々が道徳の名のもとに行った復讐なんじゃないかなーと僕は思うのです。

 

サンデル教授は本をこのように〆ています。

 「神の恩寵か、出自の偶然か運命の神秘がなかったら、私もああなっていた」。そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ。

能力のある人間は、自らの努力のみによって現在の立ち位置を築いたと驕るのではなく、その道中には運による様々な恩寵があったことを前向きに認めることが必要です。

それが、「炎上する側」と「炎上させる側」の分断を埋める第一歩になんじゃないでしょうか。

 

終わりに

正直、難しい本だったので、自説に都合の良いように我田引水してしまった可能性もまあまああります……。もしそうならサンデル教授ごめんなさい。

この本自体は「稼いでる=偉い」「学歴が高い=偉い」という風潮に一石を投じる内容になってるのですが、そこに僕が独自の解釈を混じえて「有能アピールする人間は炎上しやすい」という内容で今回の記事を投下しました。

格ゲー界隈でも「強い=偉い」論争が定期的に勃発しますが、その倫理を強い側の人間が振りかざしたとき、行き着く先は炎上しかないと思います。

無論、同じゲームをやってる以上、強い人を尊敬する心は大事ですが。

 

ちなみに僕はDaiGoの本に助けられたこともあるので、彼にはまた復帰してほしいと思っています。特に遺伝や生まれつきに勝つために書かれた「突破力」という本は彼が出版した本の中でもお気に入りです。

 

 


 

 

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