ジョジョの奇妙な冒険でお馴染みの、荒木飛呂彦がホラー映画について語りつくす本です。
荒木先生の作品といえば、人間への深い洞察力と、作品内に込められた哲学が魅力ですよね。
この本の中でも、荒木先生の良さが遺憾なく発揮されています。
概要
偏愛的ホラー映画100選
荒木ワールドの深奥を見よ!!
荒木飛呂彦がこよなく愛するホラー作品の数々は、『ジョジョの奇妙な冒険』をはじめ、自身が描いた漫画作品へも大きな影響を与えている。
本書では、自身の創作との関係も交えながら、時には作家、そして時には絵描きの視点から作品を分析し、独自のホラー映画論を展開する。巻頭には「荒木飛呂彦が選ぶホラー映画 Best20」も収録。ホラー映画には一家言ある著者の、一九七〇年代以降のモダンホラー映画を題材とした偏愛的映画論!
Amazonより引用
ホラーの定義は荒木が決める!!
荒木飛呂彦的な視点でホラー映画を語りつくす本です。
本の冒頭で、「ホラー映画とは俺が認めたもので、俺が認めてないものはただの自称ホラー映画!」という定義付けが為されます。
ここではプレシャスという映画が例として提示されていました。
あらすじ
舞台は1987年ハーレム。クレアリース“プレシャス”ジョーンズは、16歳にして父親の子供を身ごもり、母親にこき使われ、文字の読み書きもできない。「プレシャス=貴い」という名前とはかけはなれた毎日。そんな中、学校を退学させられたプレシャスは、フリースクールに通い始める。そこである教師と出会い、人生に目覚め、「学ぶ喜び」、「人を愛し、愛される喜び」を知る。それは、今までに考えたこともないことだった。果たして彼女が選んだ道とは・・・?
Amazonより引用
いかにもホラーとは無縁そうなパッケージとあらすじです。
しかし、荒木先生は「これホラー映画だから!」と主張します。
荒木先生が言うには母親から虐待を受けて、父親から強姦されて2度目の妊娠が発覚して学校を退学させられるのが、まず怖いと。しかもそれだけで終わらない。拷問映画よりも恐ろしい映画なんだと。
映画のジャンルは関係ありません、
人を怖がらせるために作っていたらホラー。
これが荒木先生のホラー定義です。
とはいえ、変な映画をホラー映画と称して紹介する本ではなく、紹介されるもののほとんどが満場一致のホラー映画なので、ご安心ください。
紹介されている映画だけ知りたいという人はWikipediaへどうぞ。
ホラー映画は人生の予習だ!子供に見せろ!!
ほぼすべての物語は「ハッピーエンドで終わる」「正義は勝つ」のお約束のもとに作られています。
そのお約束を破っていいのがホラー映画です。
曰く、世界の醜い部分を誇張するのがホラー映画。
死の恐怖すら難なく描く、登場人物にとって最も不幸な映画であると。
現実世界が「正義は勝つ」では無い以上、その予行演習として子供に見せるべきであると荒木先生は本の中で主張しています。
自分の話になりますが、最近ミッドサマーを見ました。
人生で、あれほどまでの悪意に晒されることがあるだろうか、という映画です。
二度と見たくないです。
しかし、メンタルの鍛錬として有効であるというのはその通りかもしれんなあと思います。
別に、損得で映画を見るわけではないのですが、そういう視点を持っておくとホラー映画を見るのに抵抗が薄くなりますよね。
まあ、ミッドサマーを子供に見せるかどうかはさておき。
死生観の逆転こそがゾンビ映画の醍醐味
本のほとんどは荒木先生が熱っぽくホラー映画を語っているだけです。
それも、ちょっと取っ散らかりぎみで。
「あの作品の話もしたなら、この作品の話もしなきゃ!!」と次から次へとホラー映画の名前が出てきます。
その作品紹介の合間合間に荒木流のホラー視点が語られるのが、この本の面白いところです。
この記事では、ひとつだけ抜粋してお届けしましょう。
荒木先生は、ゾンビ映画からは哲学的なものを感じるそうです。
本来、人は死者を敬うことで、生を実感します。たとえば死んでしまった祖父母のことを想うと、今の自分に視点が還ってきたときに、生きる気力のようなものが湧いてくるじゃないですか。
ところがゾンビ映画の中では、死者を敬うという価値観が逆転します。
ゾンビの存在する世界では、死者を殺すことで、「生」を実感することになります。
このパラドックスこそが、ホラー映画、ゾンビ映画の醍醐味なのだそうです。
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