見る人が見れば喜ぶとは思うんだけれども。
NetFlixで見ました
あらすじ
映画シリーズ4作目を断って20年、今も世界中で愛されているスーパーヒーロー“バードマン”。
だが、バードマン役でスターになったリーガンは、その後のヒット作に恵まれず、私生活でも結婚に失敗し、失意の日々を送っていた。再起を決意したリーガンは、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、演出と主演も兼ねてブロードウェイの舞台に立とうとしていた。
ところが大ケガをした共演者の代役として現れた実力派俳優のマイクに脅かされ、アシスタントに付けた娘のサムとは溝が深まるばかり。しかも決別したはずの“バードマン”が現れ、彼を責め立てる。果たしてリーガンは、再び成功を手にし、家族との絆を取り戻すことができるのか?
バッドマンとバードマン
バットマンで一世風靡してその後の出演作に恵まれなかったマイケルキートンが演じるのは、かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡した落ち目の俳優。
この皮肉みたいな構造を僕が知ったのは今さっきのことなんですけれども、これを知ってたらもっと楽しめたのかなと思います。
娯楽映画というよりも芸術映画
全編1カットという実験的な手法を取りながらも、カメラを上手く動かすことで破綻無く複雑な群像劇を描くことに成功しています。
ストーリーはやや難解で、1回見ただけだとハッピーエンドなのかバッドエンドなのかも判然としません。
そのあたりの、「よく分からないけれども見る人が見れば喜びそうな感じ」が芸術映画っぽくて苦手です。
分からないことだらけ
この映画が分かりにくくなってる要因としては
・どこまでが主人公の妄想か分からない
・どこまでが冗談のつもりで撮ってるのか分からない
・恐らくアメリカ人にしか分からない文化的な背景(映画界と演劇界の対立)が前提となっている
・あれよあれよと言う間に話が進んでいきすぎる
といったところでしょうか。
複数回見れば分かる部分もあるのかもしれないんですけれども、これを何回も見るのはちょっとしんどいですねえ。
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