ネタバレしまくりで書きます。
まあ、見終わってすぐに組み立てた解釈で、細かく検証したら変な部分もあるんでしょうけど、とりあえず僕はエヴァをこう楽しんだよという話です
目次
概要
庵野秀明監督による大ヒットアニメ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの第4部で完結編。1995~96年に放送されて社会現象を巻き起こしたテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を再構築し、4部作で新たな物語を描く「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ。2007年に公開された第1部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」、09年の第2部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」、12年の第3部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」に続く今作で、新たな結末が描かれる。テーマソングは、これまでの新劇場版シリーズも担当した宇多田ヒカル。
タイトルロゴには「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の最後に、楽譜で同じところを繰り返す際に使用される反復(リピート)記号が付く。
映画.comより引用
亡霊となったエヴァヲタを成仏させた最終作
今作は、意味が分からないけれども格好いい用語、なんだか哲学的な雰囲気、めちゃくちゃ格好いい作画、そして客をいじめるかのような謎の急展開という、過去のエヴァンゲリオンが持っていた『エヴァンゲリオンらしさ』を全て踏襲しながらも、決して過去の焼き直しにはせず、最先端の『エヴァンゲリオン』として昇華して、見事に最終回を描き切った傑作でした。
旧エヴァは色々な設定の説明をぶん投げた結果、エヴァオタクが行き場を無くした亡霊のようになってしまったわけですが、今作ではきっちりと亡霊にトドメを刺していきましたね。
みんなエヴァに縛られていた
エヴァに搭乗した人間は歳を取ることが出来ない『エヴァの呪縛』という新設定がQになって突然出てきて、これはいつまでもエヴァ離れが出来ずに当時のまま時間を止めてしまっているエヴァオタクに向けた皮肉だと言われていますが、むしろエヴァの呪縛にかかっていたのは庵野監督でしょう。
実写版キューティーハニーとかやってもエヴァの人としか言われなくて、結局エヴァを作り直すことになって、シンゴジラでもエヴァネタをパロディに使って……と監督自身がエヴァに強く縛られ続けていました。
今回の映画でエヴァンゲリオンという作品に決着を付けたのは、彷徨い続けるオタクのためでもあり、何よりもエヴァから逃れられない監督自身のためだったんじゃないでしょうか。ちなみに映画タイトルについてる:||はループの終わりを意味するらしいですよ。
アニメ・エヴァンゲリオンの終焉
一回しか見てない記憶であーだこーだと書いてるので違ったら申し訳ないんですけれども、クライマックスで特撮スタジオでシンジがひとりでいるシーン(……情報量すごすぎて、もう既に記憶が曖昧なんですけれどもちゃんとこのシーンありましたよね?)は他のパイロットをエヴァの呪縛から解放(=歳を取らないアニメキャラからの脱却)したことのメタファーだと思うんですよね。
次にシンジが下書きというかラフの姿になって、観客に彼がアニメキャラだとはっきりと認識させるシーンがありましたけれども、あれがエヴァの呪縛の本質なんだろうなーと。
突き詰めるとエヴァの呪縛はアニメだからこそ起こってるんですから。
そのままシンジがアニメキャラとして死を迎えてしまうことはエヴァの呪縛から逃れられなかったことを意味します。
つまり、結局絵が新しいだけで前のエヴァと同じ結末になってしまうわけですよね。」「あれはどういうことだ!!」とエヴァを追いかけ続ける救われないオタクを大量に生み出してしまい、庵野監督はエヴァをまた作り続けないといけない。
それを防ぐために新劇場版の象徴であるマリ(一説によると庵野監督の奥さんがモデルらしい)がシンジを救い出してみんな『エヴァ』というアニメから解放されてハッピーエンド、という具合じゃないででしょうか。
最後に全キャラが成長してたり、あからさまに実写映像が使われてたり、エンディング曲でモナリザとかルーブルとか実在の物が歌詞に入っているのは、エヴァがアニメからの解放されたことの象徴なんだと考えています。
あとは、ラストのシンジの声優が神木君なのは「実写っぽさ」が感じられるからですかね。
もちろん、これからもシンジ君はスパロボに出るでしょうし、エヴァコラボもあるでしょうし、エヴァのeスポーツチームも存続するんでしょうけれども、庵野監督のエヴァはこれでおしまいです。
エヴァのeスポーツチームから誰かが脱退するたびに「エヴァの呪縛が解けた」とか言っておちょくりたい。
そう考えるとQは観客にエヴァの呪縛をかけるためだけに作られたのかもしれませんね。
Qの謎展開で救われないオタクを大量に作り出しておいて、次のシンエヴァで全てに決着を付けることで観客全員を呪縛から解放する儀式だったと考えるとしっくり来ます。僕にとっては。
大人が描けるようになったエヴァンゲリオン
あと、象徴的だなーと思ったのが今回は大人キャラをちゃんと大人として描いてるんですよね。
旧版ではリツコは痴情のもつれで暴走するし、ミサトは母親的なポジションかと思ったら最後の方でシンジに大人のキスをしちゃう子供っぽさを見せるし、ゲンドウは嫁LOVEすぎるダメなおっさんだし――という感じだったと思います。
それがミサトは最後は母親として自爆特攻して(あのシーンめっちゃ良かった。涙腺に来た)、リツコも大人として職務を全うして、ゲンドウは最後の最後で子供との対話をすることで親の役割から逃げていたことを自覚して、ちゃんと全員大人になってるんですよ。
これは庵野監督もキャストも人間として成長したから描けた場面なんでしょうね。
旧版では「大人に見えるあの人も、誰かと繋がっていないといけない弱い生き物なんだ」という考えだったと思うんですけれども、監督も結婚してカラーを立ち上げたことによって「大人になるということは、痛みに耐えられることなんだ」という考えになったんじゃないでしょうか。
岡田斗司夫ゼミ推しておきます
昔、岡田斗司夫が「シンエヴァはゲンドウがエヴァに乗って初号機(嫁)と喧嘩するwww」って言ってたのがそのまま当たってて映画館で笑いそうになりました。
岡田斗司夫は庵野監督の元上司ということもあってエヴァンゲリオンを作り手側の視点で解説出来る人なんですけれども、早速岡田斗司夫ゼミでシンエヴァの解説が入ってます。
「カヲルとゲンドウは同一人物。だから渚司令と呼ばれるし、十三号機登場時の変なポーズは渚カヲルの初登場のポーズと同じなのはそういうこと」という話がめっちゃしっくり来て感動したので推しておきます。
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